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【釣りの歴史】縄文人の釣り針に対する執念が面白い(スズキ02)

釣りをするヒトにとって、スズキ(シーバス)と言えば、河口や堤防から狙える大物で、大人気のターゲットです。

その証拠を裏付けるように、釣りのコミュニティーサービスに投稿された魚種を調査した結果では、1位にスズキ(シーバス)が輝いています(ウミーノ株式会社、2019年発表)。2位アオリイカ、3位メバルを大きく離しての1位ですので、人気が強いという事が分かります。

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この記事では、そのスズキがいつから我々のターゲットであったかに注目しまして、太古の釣りとその道具に触れてみたいと思います。

縄文時代貝塚

現在、日本の歴史の中で最も古いのは縄文時代石器時代も含める)ですが、この時代にも勿論スズキはいました。

この時代の集落は、北海道から九州まで全国で確認されていて、生活の証としての貝塚(貝殻の捨て場)という形で発見されています。

これら貝塚では、貝殻の化石だけでなく、スズキ・クロダイ・マダイ・ボラなどの骨が多数見つかっています。さらに、シカの骨で作った槍先や釣り針も確認されていますので、彼らが漁業活動を行っていたのだろうと考えられています。

釣り針をつくるなんて、縄文人の想像力はすさまじいものがあると思いますが、

それでは、その釣り針を見てみましょう。

縄文時代の釣り針

下の図は全国で見つかった釣り針の一覧となります。

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1) 縄文時代における釣り針の研究 引用:渡辺誠(昭和41年)人類誌 ZZ LXXIV-1,    2) 実際の釣り針の写真 引用:三内円山遺跡HP,    3) 典型的な現在の釣り針(伊勢尼)

たまに独創的な形の釣り針もありますが、すでに現在の形が出来上がっています。

 

現在の釣り針には、獲物を逃さないように針先にカエシがあり、釣り糸を結ぶためにチモトがあるのですが、26番の針などは現在でも使えそうな出来栄えです。

個人的に気になったものに関して以下に記載します。

18番と26番のカエシ

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カエシの位置が外向きと内向きの違いがあります。釣り針としての機能には大きく変わらないと思われますが、安全性・扱いやすさでは確実に内向きの方が高性能です。カエシを内向きに作るためには細かい石器が必要になりますので、高い技術が必要になります。

20番の下部の突起

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釣り針の下部に謎の突起があります。この部分は釣り針に魚が掛かった際に、最も力がかかる部分で、想定外の大物が掛かった際には、ここがポキン通れてしまします。

それを防止するために、この部分を補強してある訳です。試行錯誤の過程が伺えます。

24番のネム

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ネムリ針とは、針先が内側を向いている針の事を言います。この針のメリットとして、魚が針を飲み込んでも、口の深い位置でフッキングしないという事が挙げられます。つまり、針を回収しやすいという事です。また、付けた餌が外れにくい、根がかりしにくいというメリットもあります。

9番の環状のチモト

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10cmを超える大きな釣り針です。針の上方にある穴は糸を通す穴で、現在の大型の針と同じ作りになっているのも非常に興味深く感じます。

実際に貝塚からは1mを超えるマグロの骨も発見されていますので、彼らがターゲットによって釣り針を変えていた事も伺えます。

38番のダブルフック

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ルアーが開発されたのが1800年代と言われていますが、すでにトリプルフックの原型が縄文時代に存在したとしか思えません。発案者は新進気鋭の釣り針デザイナーとして注目されたのではないでしょうか。

26番の遊び心

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上で紹介した26番です。一見、実用的ですが、実はチモトが骨の形をしています。鹿の骨を削って作っていながら、さらに骨の形を削り出すという遊び心が憎い一品です。

35番の強すぎる想い

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カエシが両サイドにある事に加え、外側のカエシが2重です。また、折れない工夫の突起もあり、一度かけた魚は絶対逃さないという強い想いが伝わってきます。しかし、針のふところに占めるカエシの割合が大きすぎて、貫通力に劣ると思われ、実際には釣れなかったのではないでしょうか。

 

現在の釣り針は、釣り具メーカが開発し、フィールドテストを繰り返し、商品化されるというステップを踏んでいます。それと同じ事が縄文時代にも行われていたのかと思うとつくづく日本人の勤勉さには頭が下がります。

その後

弥生時代になると、今までシカなどの骨から作られていた針が、青銅(すずと銅の合金)や鉄で作られるようになりました。強度が増した事でスマートな釣り針となり、より現在の形に近づいた釣り針が作られるようになりました。

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 弥生時代の釣り針 引用:ひろしまWEB博物館HP 

まとめ

・スズキは縄文時代からのターゲットだった

縄文時代には多種多様な釣り針が出来上がっている

・釣り針は縄文人の勤勉さが理解するのに重要な歴史的財産である

関連記事:縄文人の鮒の食べ方

shigehara-nishiki.hatenablog.com

参考 

https://www.jstage.jst.go.jp/article/asj/113/2/113_2_119/_pdf

https://www.jstage.jst.go.jp/article/ase1911/74/1/74_1_19/_pdf

https://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/about/iseki/

https://www.rakuten.ne.jp/gold/uo-chuu/maguro3.html

http://www.mogurin.or.jp/maibun/data/nagaune.htm

 

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